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第3話の続き
ヒコちゃんの両親はお父さんの仕事の関係で埼玉だったか別のところに住んでいた。だからヒコちゃんは瀬島のバァチャン、ジィちゃん、ヒコちゃんのおじさん、真ん丸顔で真ん丸からだのいつもニコニコしている優しいだるまアンちゃんと一緒に住んでいた。2階のヒコちゃんの部屋には江戸川乱歩の小説がたくさん並んでいた。「読む?」と言われても私は怖くて読めなかった。確かその当時はテレビでも江戸川乱歩の明智小五郎の番組があって猟奇殺人のような怪談ものばかりを放映していたと思う。薄気味悪くてひとりで読む気にはなれなかった。
ヒコちゃんはデザイン画をよく描いていた。ヒコちゃんの書いた絵に私は凄く感動したことを覚えている。ミニスカート、パンツ、フリルが付いたブラウス、エレガントなドレス、いろんな洋服を着てチッチャイ顔のほっそりとした足の長いスタイルの女性、どれも綺麗で格好がよかった。でもその絵に描かれた女性の唇が赤く光っていたのを見て、何で光っているのか判らなかった。女の子ならすぐ検討が付いたかも知れないが爪に付けるマニキュアを使っていたのだ。「へぇー」と思った。絵にそんなものを使うなんて考えたこともなかった。凄い発想、だから私にとってヒコちゃんは一流のデザイナーにその日からなってしまったのだ。
# by jqqpd614 | 2005-07-25 22:34 | 思い出
第3話 山上のヒコちゃん
子供の頃のお嫁さん。僕たちにもこんなときがあった。僕のお嫁さんになるとあれほど言っていたのに…。僕が5月に生まれ、ヒコちゃんは11月に生まれた。6ヶ月ほど早く生まれたので僕が兄貴。瀬島のバァちゃんたちからすれば同い年の兄妹。いつも一緒で育った。小さい時の想い出は僕にとっては楽しいことばかりなのに、山上のヒコちゃんにとってはそればかりではないのだ。あるとき、僕がイカの燻製を食べていたときのこと、山上のヒコちゃんが「わたしにもちょうだい!」と言ったそうだ。でも僕は後ろを向いたまま知らん顔してあげなかったそうだ。随分大きくなってからも言われるからヒコちゃんには相当ショックだったのかも知れない。こういうことって一生忘れないんだろうなぁ。こっちは全然覚えてないのにねぇ。小さい時のモノクロの写真を見るとキューピーちゃんのような格好で立っているヒコちゃんがいる。毛糸の帽子、毛糸のマント、毛糸の超ミニスカートの彼女が眩しそうな目をして写っている。「カッワイイーッ」、可愛かった。「あっ失礼」、ズーッと可愛かったですけどね。中学の頃は僕はビートルズで、彼女は堺マチャアキのスパイダースの追っかけをしていた。モデルもしていて仕事で着た洋服をもらって帰っていた。目立っていたので地元では知らない子はいなかったんじゃないかなぁ。僕は近所の女の子に「あの子のいい名づけって本当なの?」なんてよく言われていた。僕も自分でよく言っていたけど当然結婚するものと思っていたので…。
# by jqqpd614 | 2005-04-15 12:23 | 愛する人へ
第2話 瀬島のジィちゃん
いっつも床屋に行ったばかりのような、さっぱり刈上げでがっちりした体型の瀬島のジィちゃん。東京ガスに勤めていた。出かけるときはいつもピチッとした格好で、江戸っ子風おしゃれで極めていた。休日の前日から競馬新聞を手に目を細めながら色鉛筆で何やら色々印を付けていた。そして休日の午前中は馬券を買いに行っていたのか、ほとんど居ないときが多かった。昼過ぎには一階の和室の真ん中の柱がジィちゃんの定位置の席で足を投げ出して座ったり、胡座をかいて柱に寄りかかったりしていた。ラジオを聴いて声を出さずにニャッと笑うときがある。「よしっ」とか、「当たった」とか絶対言わないが当たったときに違いない。じっとうれしさを堪えながら足元に置いたお盆に手が伸びる。ジィちゃんの好物は冷奴と枝豆、ビールを手酌で飲みながらつまんでいた。いっつもお盆に置かれているのは冷奴か枝豆で他のものを食べたのを見たことないし、お変わりしたのも見たこと無い。後で聞かされるまで糖尿病だったことは知らなかった。家にいるときはステテコに前ボタンが付いたサラサラシャツになる。いつもニコニコ顔で無駄口は聞かないが可愛い感じのジィちゃん、怒った顔を見たこと無い。なつかしいな瀬島のジィちゃん!
# by jqqpd614 | 2005-04-13 00:19 | 思い出
Excite Blog に初参加
本日よりエキサイトに参加出来るようになりました。過去を振り返りながら良い思い出を思い付くままに投稿します。よかったら歳三の思い出話にもちょっくら寄って行ってください。
では第1話 瀬島のバァちゃん
山上のひこちゃんより私のほうが半年ぐらい先に生まれたので、まだひこちゃんは生まれていなかった。なのでは私を初孫のように可愛がってくれた。私をお風呂に入れてくれたり、モチロン抱っこしたり、2階から屋根の上で裸で日光浴をして気持ちよくなるとおしっこをしていた。そんな時「今日はお天気なのに坊やが雨降らしてる。」なんて…でもこの頃の私の記憶はあまり鮮明ではない。もっと大きくなってお彼岸になると牡丹餅を作ってくれてこれが私には一番思い出すことだ。お茶碗にもち米をついでその上にアンコを載せるのがバァちゃん流、それもしゃもじでアンコを擦り付けるように載せるのだ。美味しかったなぁ。いつもバァちゃんは白い割烹着をしてお裁縫をしている背中を丸めてピョコタンと正坐して糸をくわえてプッチンと歯で切る。目を細めながら糸を通したり、たまに針を頭に擦りつけたりしながらせっせとボタン付けや繕いをしている。中学校に入っても自分のうちの様にショッチュウ入り浸っていた。梅酒も美味しかった。そう私は大人になってもズーッと「坊や!」と呼ばれ続けた。懐かしいなぁバァちゃん。夕方になると東京ガスに勤めていたジィちゃんが帰ってくる。
# by jqqpd614 | 2005-04-08 22:14 | 愛する人へ
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